平安王朝時代の満月
竹取物語、更級日記では「月をじっと見つめると不幸になる」という考えを述べているところがあります。更級日記の中で「稚児の寝顔に月光が射し込むのを恐れて、袖で光を遮る」という場面があります。清浄な月に魂を抜かれる、という俗信があったようです。貴族女性や女房は、容姿を隠して暮らしていたので、現代とは比べ物にならない明るさの満月の光に晒されることを避けたのでしょう。
中国の中秋節が唐の時代に伝わり、平安貴族の花鳥風月の趣味に合い、庶民も稲の豊作を祈る心持ちとして、特に陰暦八月十五日の月、中秋の名月を愛でる習慣は芽生えていました。日本民族は縄文時代から、月への尊崇の気持ちを持っています。稲刈りの前に、里芋の収穫があるので、里芋を供えることから芋名月とも呼ばれました。
陰暦九月十三日は、十三夜の月で、満月にはなりきっていない少し欠けている月を、満月を心待ちにする気持ちと相まって、風情を感じるようになりました。中国にはない日本独特の感性を示しています。
貴族たちは、直接満月に目を向けることをはばかり、池などの水面に映る月の影を眺めていました。嵯峨天皇は水面に映る月影を楽しむために、わざわざ大沢の池という日本初の人工池まで造りました。
中秋の名月も雲に隠れていれば「無月」と名付け、雨で見ることが出来なければ「雨月」と言って、やはり名月の風情を楽しみました。これが、貴族たちの品性だと思います。
夕顔の巻では、「白」という言葉が七回も出ています。この巻のイメージは、夕暮れにほのかに浮かぶ夕顔の花の色、白です。
源氏は中秋の名月の翌日、十六夜の月の日に夕顔を某の院に連れ出し、源氏は初めて覆面を外し、夕顔は白の袷に薄紫の表着を羽織っていましたが、瞬時に真っ裸になり(これが単衣、袿の重ね着のなせるわざです)源氏は自分の紅の着物で、彼女の裸体を覆って情熱的に愛し合いました。この映像的な色彩感覚も紫式部の素晴らしい演出です。
はっと源氏が目を覚ますと、その夢の女が枕元にぼうっと立っていたように見えました。この女が六条の御息所とは書かれていませんが、読者はこの物の怪を六条御息所の生霊だと思うでしょう。夢の女の台詞は彼女の心情を訴えた哀切な響きがありますから。
夕顔が絶命したのは、十七夜の月の日つまり立待月の日、満月から欠け始めていこうとするが、まだまだ美しい月の姿を見せています。若く白く美しい夕顔の死のエロスを立待月に見立てた紫式部の才能です。
(源氏十七歳、夕顔十九歳、六条御息所二十四歳。)
紫式部は道長に似て、満月を好む。清少納言は新月直前の有明の月を好む。この好みが、ふたりの行く末を暗示しています。
早稲田大学大学院(心理学専攻)
メルボルン大学大学院(言語学専攻)
文学修士。大学教員を経て、株式会社 BrainTrust 設立。
代表取締役現在に至る。