橋本進吉博士・有坂秀世博士の研究を受け継いだ多くの研究者によって、上代の和語の音韻が解明されてきました。あれこれと異議や補足を唱える方もいらっしゃるけれども、基本は揺らぎません。聖徳太子・稗田阿礼・太安萬侶・本居宣長・有坂秀世に共通することは「耳がいい」と言うことです。聖徳太子のことを「八耳命」(ヤツミミノミコト)と称したことからも、聴力は記憶力・理解力を示しています。文字のない音声言語の時代には、各地方に様々な方言が存在したことでしょう。聖徳太子はそれを聞き取り理解したと考えられます。有坂博士も地方の方言を明確に聞き分けたと言います。天才的な耳だったんですね。
奈良時代、一字一音表記の万葉仮名のお蔭で、当時の発音の違いを明らかにすることが出来ます。現代は清音44音・濁音18音です。奈良時代は清音61音・濁音27音でしたから、奈良時代の日本人の方がたくさんの発音を持っていたことになります。ひとつの例として、ハ行子音を取り上げてみます。は・へ・ほは英音を下地としたヘボン式ローマ字でha/he/hoですが「ひ」はIPA(国際音声記号)の無声硬口蓋摩擦音で表します。英語音には「ひ」の音はありません。「ふ」はfuに近いのですが、ギリシア語の両唇摩擦音ファイという文字を使って表します。ファという音は近代になって外来語として日本に入った音ですが、実は奈良時代の人は、語中・語尾の、は・ひ・ふ・へ・ほ 、を ファ・フィ・ふゥ・フェ・フォと発声しました。恋「こひ」は「コフゥィ」と発声しました。この唇を合わせた両唇摩擦音が、平安時代の半ば頃になると、唇が僅かに開いて両唇接近音になり、「コウィ」とワ行の音に変わっていきます。これは「ハ行転呼」という音韻変化の現象です。ハ行は語頭では、無声化して、pa/pi/pu/pe/poと発音されていたという説もあります。キャ・キュ・キョのような拗音は奈良時代には存在していませんので、奈良時代人にcandyキャンディと言っても、ほとんど聞き取れないと考えられます。人間は自分が発声出来る音しか聞き取ることは、出来ません。
日本語の場合、子音と言っても、音を伸ばせば母音になってしまいます。子音と母音が組み合わされて出来ているからです。恋「こひー」と伸ばせば、「イ」の音になります。表記する場合には、ア行の音ではなく、ワ行の音なので、「ゐ」になります。そして、「ひ」と「へ」の音には、それぞれ母音部分が甲音・乙音という別な音があって、万葉仮名で明確に書き分けていました。書き分けるということは、発音が違うということです。甲音は現在使われている音に近いとされていますが、乙音は、舌の中ほど部位を使い、ウィ・ウェに近い音とされています。奈良時代には、ア・イ・ウ・エ・オ・ヰ・ヱ・ヲの八つの母音がありました。本来は、表記はワ行文字ではなく、音声記号で表します。それから、や行には「je]イェという音があり万葉仮名では「江」「延」などで表し、ア行の「e」エは「衣」「得」などで書き分けます。また、仏教語を中心に若干の漢語も使われていました。「法師(はふし)」「布施」「餓鬼」「香(かう)」など。
万葉集の東歌は五つの母音のように思えます。仮名遣いに乱れがあるために、分かりにくいのですが。古い言語としてのアイヌ語の場合は、五つの母音と考えられます。縄文時代の古い言語は五つの母音だったかもしれません。奈良時代の近畿地方では、朝鮮からの渡来人たちが活躍しています。彼らが自身の母語を基準に日本語を表記するときには、日本語を聞き取れる範囲で表したはずです。さらに、それらも参考にしながら、異国の漢字を借りて表記を工夫したことを考えると、近畿地方の大和の国では、八つの母音があったので、八母音の表記が存在するわけで、地方は方言だらけで、縄文時代の古い言葉も混在していたことでしょう。古事記成立に関わった人たち、稗田阿礼の使った大和言葉が、そのころの日本語を代表するNHKの標準語という訳ではありません。「倭」を「日本」と命名した天武天皇の大和魂が、文字としての日本語成立に着手したころの、その名の通り「大和の国」の言葉です。それが、やがて日本固有の仮名文字発明のきっかけとなり、源氏物語成立に繋がっていくことになるのです。