私の専門は言語学です。日本語音韻の研究については明治の終わりから昭和初期に登場した優れた研究者によって完成されており、その後の研究者の論文で特に新しい見解を見出すことは、私には出来ません。橋本進吉博士の「上代特殊仮名遣」・有坂秀世博士の「国語音韻史の研究」この天才的で稀有な研究者の業績が私の師匠です。もっと遡れば、真言宗僧侶契沖(けいちゅう江戸前期の国学者)の「万葉代匠記」で万葉集全巻に注釈が付けられ、奈良時代の音声・文字の研究がなされ、契沖によって歴史的仮名遣いの基礎も定められました。それから本居宣長(もとおりのりなが江戸中期の国学大成者)は伊勢松坂の小児科の医者でしたが、契沖の著書に出会い国学に関心を持ち、なんと35年の歳月をかけてついに「古事記伝」を著しました。我々は、彼らの偉業のお蔭で上代の和語を理解し、古事記・万葉集を解釈することが出来るようになりました。日本人が日本人としてのアイデンティティーを持つことが出来るのは、日本語を母語とすることです。その日本語の基礎を築いたのは「古事記」です。
世界には、約7000の言語が存在していると言われます。人口600万人のパプアニューギニアでは、約850もの言語が使用されています。長い間、森林伐採がなくて山や密林のために、多くのそれぞれの部族が交わることなく固有の言語を保持してきました。私は、かつてパプア諸語の研究をしているうちに、日本語と同じ構造を持つ言語があることに気付きました。日本語のルーツをたどると、南方系のオーストロネシア語と北方系のアルタイ語の系統が融合して出来上がったものだと大雑把に言われていますけれど、私はパプア諸語・アボリジニ諸語(言語の系統関係が立証出来ないでいますので語族ではなく諸語と呼びます)にこそ日本語のルーツがあるのだと実感したのでした。
オーストラリアのアボリジニの方々と私は4カ月間ほど、ほぼ裸で共に生活したことがあります(まさに裸の付き合いでした)が、数万年の言語の歴史を持つ彼らの言葉に、なにかしら懐かしさのようなものを感じました。日本語の血縁語は彼らの言葉ではないかとさえ思いました。アルタイ語族に属する日本人である私にとっては、インド・ヨーロッパ語族ゲルマン語派、つまり英語を母語とする研究者よりはパプア・アボリジニ諸語の分析は容易であったように思えます。日本の縄文時代の日本語の原形は、古い言葉としてハナ・ハト・マメ・ヤマ・カワ・マス・クモ・タコなどのように二音節言語だと思います。アボリジニの人たちには三音節言語が多いのです。南方と言えば、沖縄にも古い言語が残っていますが、鹿児島でも士族は西郷どん(さいごうどん)と五音節ですが、お百姓さんは「せごどん」と三音節で発声しますから、パプア・アボリジニ諸語に近い感じがします。
パプア・アボリジニ諸語の人たちは、文字を持ちません。日本にも長く文字のない時代がありました。人間には文字がなくても、話し言葉があれば社会生活を営むことができます。日本では書き言葉が始まってわずか1400年ほどです。文字のない時代は1万年単位の時間です。近代言語学では「言葉」は単なる「記号」であるという考え方です。「言葉」はそんなものではありません。このような歌があります。「敷島の倭(やまと)の国は言霊(ことだま)の助くる国ぞ真幸(まさきく)ありこそ」万葉集3254。「日本という国は言霊が助けてくれる国ですよ。ご無事でいらっしゃるに違いありません」と奈良時代の人々は国という大きな視点で、言葉の持つ霊力を信じています。「言葉」は人間の精神生活を維持するためにこそ必要なものなのです。
つづく